広告・TV・映画や舞台など多方面で活躍を続け、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会・開閉式でのヘアメイクアップディレクションを務めた冨沢ノボル氏。アーティストとしての活動は今年で30周年を迎え、現場では「ラブ・ライナーのアイテムが欠かせない」と語る冨沢氏にラブ・ライナーとのスペシャルコラボ作品を制作いただきました。
ThemeLOVE & COOL
SPECIAL INTERVIEW
冨沢氏に今回のコラボ作品・2作の解説、30周年を記念して開催する個展“LOVE IS THE MESSAGE”、またご本人のヘアメイクアップ・アーティストとしての変遷について尋ねてみます。
Chapter01
冨沢ノボル、メイクアップアーティスト
としてのはじまり
- ― 冨沢さんはどのような青年期を過ごしていましたか?
- 「中学のころから、ファッションに強い興味があったんです。高校生になるころには自分で制服もカスタムして、多分10着くらいは先生に取り上げられたんじゃないかな(笑)。その時期から徐々に音楽にものめり込むようになって。音楽好きは地元のディスコに集まるので、学校を問わずさまざまな人とそこで語り合いましたね。先輩がDJをやっていたので、バックステージで次にかけるレコードを取り出す役目を任されて、クラブカルチャーにも足を踏み入れるようになりました」
- ― そこからどのようにしてヘアメイクを志すようになりましたか?
- 「僕の場合、志すっていうよりも自然な流れだった。ファッションは好きだったけど、洋服を作るよりはそれと一体化したヘアとメイクに興味が湧いて。高校時代の放課後は先輩の美容室に入り浸るようになって、“美容っておもしろい仕事だな“って感じるようになりました。高校を卒業後、進学した金沢の大学はすぐ辞めましたけど、東京で美容室の面接を受ける時、その先輩美容師に“とにかく派手な格好をして行け”って言われて。ワールズエンドにジャケット、ゴルチエのスキニーパンツなどを合わせたパンクルックで会場に行ったんですよ。おかげで面接は無双。そのうちの有名な美容室で働くことになりました」
- ― 美容師時代はどうでしたか?
- 「当時の美容師って意外と真面目な人が多かった。美容一本、みたいな。僕の場合、音楽しかり遊びの延長で吸収していったものが結果的に美容につながっていったから、周りとフィーリングが合わないと感じることも、正直ありました。そんなとき、プラスチックスってバンドを知った。プラスチックスって、全員もともとは音楽家ではなく、デザイナーとかイラストレーターとか別の仕事をしていて、そんな人たちが音楽を楽しむ姿がめちゃくちゃかっこ良かった。そんなクールな先輩方と若い世代がミックスするカルチャーの中でヘアメイクしていたのが、後に師匠となる河野ミツル先生だった。河野先生はカルチャー・クラブのボーイ・ジョージや、B-52’sのビーハイブヘアも手がけて海外でも活躍していたんですよ」
- ― アシスタント時代はどんな風に過ごしていましたか?
- 「河野先生の現場に初めて立ち会ったとき、“これだ!ここに自分の思っていたものがある!”と衝撃を受けました。当時はアーティストがタレントや俳優よりも、称賛を浴びるような時代だったので、河野先生の傍でたくさんのことを学ばせていただきました。90年代初期まではそんな感じでアシスタントをしていました」
Chapter02
独立して出会った新しい生活と
名だたるクリエーターたち
- ― フリーランスとして独立された当時の思い出はありますか?
- 「アシスタントを卒業して、フリーランスとして活動を始めた頃、アートディレクターの信藤三雄さんに出会いました。信藤さんは松任谷由実さんなど当時のJ-POPのトップアーティストを手がける人。知人に紹介されて初めてお会いすることになったときは、恐れ多くて緊張しました。自分のポートフォリオの準備をするにも、アシスタントを卒業したばかりで作品が少ない。“このまま見せるだけでは面白くない”と思って、写真とコラージュで構成しました。それを信藤さんがすごく褒めてくださったんですよ。信藤さんにすでに売れっ子だった某女優さんのカレンダーの仕事をすぐいただき、やらせてもらいました」
- ― なぜニューヨークに移ったのですか?
- 「デビュー当時は、ありがたいことに毎日のようにお仕事のオファーをいただいていました。でも仕事が上手く行っていた分、海外でも挑戦してみたいという気持ちになって。そこでニューヨークに行くことに決めたんです。ニューヨークではチェルシー・ホテルの近くに住んでいました。チェルシー・ホテルの近所って、日本でいう新宿二丁目のようなLGBTQに人気のエリアでもあり、ファッションピープルが住むようなエリアでもある。そのちょっと先のハドソン・リバーにはダンスクラブも多くて。僕はそのあたりを“もっと面白い人に出会えたらいいな”なんて思いながら、四六時中ぐるぐると徘徊していたんです。日中はニューヨーク図書館に通い詰めて、60~70年代の雑誌『VOGUE』を背高く積んでは読み耽っていましたね。クリエイティブの質も高いし、“本物ってやっぱこれだよな〜”ってインプットをする日々。週1は美術館も無料で開放される時間帯があって、そこで出会ったフォトグラファーと作品撮りをしたり……ボディランゲージでも意外と通じ合うものですよ」
- ― ニューヨーク生活での転機はなんでしたか?
- 「信藤三雄さんからニューヨークに電話がかかってきたんです。“ピチカート・ファイヴのジャケット撮影がミラノであるから、そこに来ないか”って。もちろんすぐに現地に飛んで、メンバーの野宮真貴さんにはライオンの頭みたいなグラデーションのヘアを作りました。ニューヨークでのインプットが爆発したね。それ以降気に入っていただき、翌年にピチカート・ファイヴのワールドツアーに同行することになったんです。アメリカからカナダまで20ヶ所くらいを2ヶ月かけて回るから、公演以外ではその土地土地でお茶したり、古着屋やレコード屋を回ったり。小西康陽さんは棚一面になるくらいの量のレコードを買い込んだりして、“やっぱり桁違いだ”ってとことん尊敬しました。ツアーの最後はテキサス。馬がメイクボックスを運ぶもんだから、揺れてアイシャドウが割れちゃうんじゃないか心配で。“なんとかゆっくり歩いてくれ”って馬に頼んだくらい(笑)」
Chapter03
東京から世界へ、
メイクアップを通して心と心をつなぐ
- ― 冨沢さんは東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会・開閉会式やブラジル・リオでのパラリンピック閉会式で、ヘアメイクのディレクションも務められました。現場ではどんなお仕事をされていましたか?
- 「ヘアメイク人生の中でも、ものすごく大きな出来事でした。日本を象徴するヘアメイクを提案するわけですから、プレッシャーは相当ですよ。東京2020ではひとつの大会で1,000人くらいにメイクアップのディレクションをするんですけど、女性には日本を象徴するような赤リップを付けてもらったり、ヘアスタイルは日本の行き届いた清潔感をアピールするようなまとめ髪や、ジェルでのスタイリングをお願いしたり。出場するアスリートや、タレント・俳優にもコンセプトに合わせたヘアメイクを何パターンも用意して、本番に臨みました」
- ― 会期中、なにか印象的な出来事はありましたか?
- 「東京2020でパラリンピックのヘアメイクを担当した時のこと。通訳の方を通じて、現地のある女の子に“私たちもあんな色のヘアエクステをつけてみたい”と言われたんです。正直なところかなり立て込んでいたけれど、その子のまっすぐな目を見たら思わず“やります”と答えちゃってね。自分の睡眠時間を削ってでも、彼女のためにエクステを準備したいと思ったんです。本番になってその子にエクステを付けてあげたら、それまでひとことも発したことがなかったのに、“ありがとう”って日本語で言ってくれたんですよ。“ヘアメイクって、人を喋らせることができるのか”って目の当たりにしたら、さすがに胸にグッときちゃって。“この瞬間、この場所、この現場に携われたことが心からうれしい”って感じました。それまでヘアメイクって、ファッションと相乗して“なにかを格好よく見せるもの”と思っていたんですけど、人間の大きな行動にまで働きかけることができるなんて、本当に素晴らしいものだと再認識しました。“ヘアメイクは、未来を明るくする可能性を秘めているんだ”って」
Chapter04
個展「LOVE IS THE MESSAGE」
開催にあたっての想い
- ― 今回の個展はどんなものになっていますか?
- 「僕は小さい頃からひとつのことを続けるとか、粘り強い方じゃなかった。でも不思議とこうして30年もヘアメイクアップアーティストとして活動し続けてきたんですね。今回の個展については、写真家のレスリー・キーと長年企画を温めてきました。アートディレクターにヒロ杉山さんを迎え、これまでの自分の転機になった作品と、新しい冨沢ノボルとして “アート”に特化した作品を多く展示しています。僕が美容専門誌などでアートディレクションを担当して作った作品や、メイクアップを通してAIと本物の人間のリアルをミックスしたような作品もあります」
- ― なぜラブ・ライナーとコラボすることになったのですか?
- 「もともと、リキッドアイライナーを現場で愛用していたんですよ。僕たちヘアメイクって、一度アイライナーの筆を肌に置いたら線を絶対に逃したくない。目元はセンシティブだし、涙でにじませたくもない。一発で狙いを決めたいんです。一度サンプルでいただいたものを試したら“これは良い!”って手放せなくなって。筆ペンみたいにササッと使えるし、カラバリも豊富。今ではほぼ毎日のように使っています」
- ― 今回のラブ・ライナーとのコラボ作品について教えてください。
- 「個展のタイトル “LOVE IS THE MESSAGE”にもあるんですけど、“ラブ”って永遠のテーマだと思うんです。今回の作品〈LOVE〉では、目元全体でそのメッセージを伝えたかったので、アイロンでつけまつげを作って準備しました。リキッドアイライナーで小さなハートを散らすことで、ラブに遊び心を加えたりしてね。〈COOL〉では、ソリッドなアイラインテクを意識しました。アイラインをモチーフっぽく落とし込んで、ヘアも血管のようにうねりを作って。モデルのSUMIREさんは、瞳の色が独特だから赤みのあるカラーを目元に使うと、それが反射してグレーっぽく見えたりするのが魅力的ですよね」
- ― 個展はどのような方に見ていただきたいですか?
- 「僕の尊敬する芸術家のひとりが、岡本太郎先生。彼が作った太陽の塔の内部って人間の中みたいに真っ赤で、原始の時代から現代にスパイラルするような構造になっているんです。今回の個展も、古くから僕を知ってくださる方にも、新たに知ってくださる方にも作品を生き生きと巡るように楽しんでもらえるものにしたかった。人間って年を重ねれば、ほうれい線が深くなったり、生え際が薄くなってきたりするけど、実はそれすらも美しい。ヘアメイクの魔法を借りることだってできる。いつだって“ライフ・イズ・ビューティフル”なんですよ。個展を通して、多くの方にそれを感じていただけたらうれしいです」
EVENT INFORMATION
NOBORU TOMIZAWA
30th Anniversary “LOVE IS THE MESSAGE”
2024.1.6(土) ー 2024.1.21(日)
会場: Creative Space Akademeia21 Harajuku(旧X8 gallery)
東京都渋谷区神宮前5-27-7 アルボーレ神宮前
入場無料
PROFILE
冨沢ノボル
1992 |
フリーランスのヘアメイクとして活動 |
1995 |
渡米 (NY) |
1998 |
帰国、ファッション誌、広告、TV、CM、CDJ、PV、コレクション、映画、舞台、Beautyディレクションなど活躍の場を広げている |
2022 |
東京2020オリンピック開閉会式、パラリンピック閉会式のヘアメイクディレクション担当 |